素人の私たちが原発反対を公言すると、決まって感情的で、冷静さを欠く連中だと非難する大人たちがいる。だが、原発事故が地球規模で起こっているとき、誰が冷静でいられるものか。地上のあらゆる生命体を破壊し、地球そのものを破滅に追い込もうという不気味な進歩をただ見過ごせる筈はないではないか。
映像に携わる若い仲間たちが、長いこと思い詰め、話し合い、そして自分たちの思いを映像で表現しようと走り始めた。
もちろん、原発に関わるメカニズムを映像化する困難さは、百も承知のうえである。不気味すぎる正体をとらえきれずにつまずき押し倒されるかもしれない。
だが、何もせず、叫ぶこともしないことは罪悪ではないのか。
ひとりの人間として、かつて戦争に先輩たちが押し流されてしまったような、悔いはのこしたくない。
だから今、出来ることから始めたい。子どもたちに、美しく、安全な地球を引き渡すために。
仲間の若い人たちが行動を起こした。現代に言葉は氾濫しているが行動は稀だ。なぜなら言葉は、舌をよく回転させれば、座して足りるが、行動は掘り起こすエネルギーを必要とする。
落ち着いて、よく咀嚼しなければエネルギーは起こらない。そして目だ。何を見るかだ。たしかな目で、よく見つめないと、行動は起こらない。
安泰と繁栄にどっぷり首まで漬かっているはずなのに、何か不安だ。つまずくほどにレジャーは転がっているのに、なぜしんから楽しませない。
ブラックホール。目に見えない不気味なものが横たわっている。行動を起こして見つめよう。そして語ろう。